社長の部屋CEO's ROOM

03.随想編

コンピューターとの思い出 その3

2022.01.24

 1986年会社を辞めて友と二人で新会社を創業することとなった。早速パソコンを買うこととなった。NECの9801シリーズだったと思う。そこで初めて初期のワープロソフト「一太郎」と出会う。ローマ字で文章を入力すれば候補の漢字に返還される。今思っても画期的なワープロソフトだった。当時はワープロという80万円程度の専用機が普及していてパソコンのソフトでは個人ユースの領域に留まると言われていたが、「一太郎」の進化で日本語ワープロはパソコンソフトの時代となって行った。暫くすると日立や沖電気などのワープロ専用機は消えて行った。このソフトの出現は手書き文章の社会だった一般社会へのパソコン普及の先駆けとなり画期的な出来事だった。

 私もその頃まではパソコンの進化にずっと関って行きたいと思っていた。開発者とまでは行かなくてもソフトの開発に時代が変わっていくことの無限の可能性を感じていた。それでも今のように普通の会社からオフコンが消えすべてがパソコンに入れかわるとは思わなかった。未だパソコン通信がモデムカプラーでやっと普及し始めたころだった。Fax以上の遠隔情報伝達方法はまだ身近には存在しなかったが、どんどん進化するパソコンにゾクゾクする大きな夢を感じた。しかし冷静で客観的に時代と自分を見れば、脱サラして何か仕事を立ち上げて食べて行かねばならない現状で、パソコンやソフトに夢中になっている時間はもう自分の人生の中では取れないだろうと判断した。パソコンが上手くなるより経営に専念すべしと思った。

 

 大好きだったパソコンに別れを告げねばならないと思い、当時新会社設立に社員として引き込んだ現PTI有田社長に当時のパソコンを教えながら「俺は今、お前にパソコンを教えているが、将来は逆に俺が教わる立場になるだろう。残念ながらパソコンに時間をつぎ込む余裕は俺には戻ってこないだろう。どの様なことが出来るかだけは今後も知って行きたい。宜しく」と言ったのをハッキリ覚えている。寂しいパソコンとの別れだった。

 今、正にその予言が実現し、全くのパソコン音痴となってしまった自分がいる。有田社長はパソコンにのめり込んでいった。今は彼の足元にも及ばないだろう。

 MS-DOSが普及し始める頃から全く私の世界からパソコンは遠ざかって行った。しかし、やがていずれコンピューターは論理的な思考と目的さえしっかり持っている人間なら、誰にでも意思疎通が簡単にできてアプリケーションを使う悩ましさから解放されると思っている。今は未だ過渡期の道具に過ぎない、今憶えても3年遠ざかればまた覚えることが溢れるのが現在のコンピューターだが、既にパソコンではなく携帯電話とそのアプリで世界中とやりとりしながら運用する時代となっている。もう私がパソコンと出会ってから何世代も更新されて進化している。今からの時代を次回で少し予測してみよう。

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