十方三世一切佛 諸尊菩薩摩訶薩 摩訶般若波羅密
じーほーさーしーいーしーふー、しーそんぶーさーもーこーさー、もーこーほーじゃーはーらーみー、と読む。
座禅終了後、本堂に移って般若心経など唱えたりする間に何回か唱える偈文というものだ。過去、現在、未来に亘る全ての仏とその智慧に対しての感謝の意を表す言葉だろう。あまり意味は深く知らないが、両手を合わせて唱えるときに自らの存在を感じ感謝するタイミングと思っている。日頃、現代人は手を合わせて拝むということをしない。私もめったに仏神に手を合わせるということはしないが、朝礼時に手を合わせて経営理念を唱え我が身を省み実践を誓うという所作はここ20年近く続けている。手を合わせるという所作は気恥ずかしさもあるだろうが、我が身の存在を超えた何かに手を合わせ誓うというのは人間の傲慢さから一瞬でも遠ざかって見るということで貴重な瞬間だ。
昔から宗教に関わる本を読んだこともあるが神の存在を実感しない私には深入りは出来ないが、禅宗では自らと対峙し自らの中に仏とは言わないまでも何かを求めるようなところが私に馴染んでいる。とはいえ宗教である。お経を唱えたり儀式や所作には従わねば先がないし、従ってみると今まで気づかなかったことに気づいたりもする。
元々何かを学び取ったり生き方を整えたりするための所作であろう。意味も分からないで評価するより今はただそれにしたがって身に着けてみよう。数百年も伝わって研ぎ澄まされてきた禅宗の所作には意味がある筈だ。仏の前では全てが裸の一人の人間、世間の物差しはないし隣人との比較もない。ただひたすら自分と対峙するときに時として仏を感じることもあるような気もする。今朝も40分の坐禅と一時間の朝の務めを爽やかに体験できた。
禅堂に座る度に季節の移ろいを感じる。私が進化しようと停滞しようと、精進しようと怠けようと時は一刻としてとどまらない、来るたびに時間が流れ去っているのを感じる。夜明け、木の葉の色、虫の声、来るたびに変わっている。焦るために来ているわけではない、むしろ落ち着くために来ているのだが焦りも感じたり、無常観を感じたりもする。そこの先には解脱でもあるのか(笑)
※2013年11月11日社長トップメッセージより
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