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トップメッセージ(「フェア(公平)」ということ)20150615

「フェア(公平)」ということ

2015年6月15日

 アメリカ人はフェアプレーが好きだし、フェアじゃないといわれることには大変抵抗するといわれる。私もフェアプレーが好きだ。全てを公平に扱いたいし先入観なく実態を見極めたい。しかし、「公平とは何か」に悩むことは多い。会社でも誰にでも同じように接することがフェアなのか、それとも貢献度低い人より高い人を厚遇すべきかと悩むことも多い。
 組織運営では、選ばれたエリート集団であれば、ある程度の寛容さと自由度を最初から与えられた組織が強みを発揮できると思うが、我々が集う凡人の集団であれば組織統治にはある程度の厳しさが必要だと思う。機械装置が、予算も納期も性能も製作指示書を回しただけで、決めたとおりの内容で出来上がるのはなかなか難しい。時には叱責し、チームで叩かれないといい結果は出せないのが我々庶民、凡人だ。そういう組織の運営は時として厳しくあるのは仕方ないが、フェアではありたいと思う。是是非非、いいことはいい、悪いことは悪い。悪いことには罰則があるのも仕方ないが、今までプレシードでは少なくとも挑戦の失敗で処罰したことはない。ただ、手抜きや過失の失敗は責められて当然だが、そこも強く責めない甘い組織だったように思う。
責められるべき結果は、それが過失か、手抜きか、故意かでも違うし、人のレベルによっても違う罰則となる。新人には許されても管理職には許されない失敗もある。だから処罰は必ずしも同じであることがフェアとも思っていない。
 また、私にはフェアでないと思っても処断せねばならないと思う処罰もある。それは故意の裏切り、私欲により組織へ傷を負わせること。これだけは私は寛容ではいられない、どうしても許せない気持ちが先に立ってしまう。勿論、故意であるか、過失や能力不足であるかの判断は間違ってはならない。しかし、組織への背信行為は絶対許さない、私欲による裏切りは許さない、というのはフェアである必要はないと思っている。なぜならそれは悪だから。
私は悪に対して寛容である気持ちにはなれない未熟な人間であるが、人は弱いものであり、誘惑に耳を傾け間違いを犯すこともある。強い反省と謝罪の気持ちがあれば許し、更生の機会を与えるのは言うまでもない。

フェアプレーというのがスポーツでも最近少なくなってきたように思う。かつてのスポーツは、フェアプレーが最大の要件だったように思う。勝ち負けよりフェアに勝負することがアマチュアスポーツの原点だった(伝説となったテニスの清水善造の話など知るや?)。いま勝利至上主義、拝金主義が世界を覆い始めたような気がする。資本主義、市場原理ではあっても、もっとあらゆるところにフェアプレーの精神があっていいいと思うのは甘いノスタルジーなのか。卑怯者と悪が負けるのは映画の世界だけなのか、寂しいかぎりだ。
勝てばいい、ズルしても勝てばいいというのは私の経営理念、人生観、道徳観には反する。見えない所で故意に反則を犯すようなスポーツ中継を見ることもある。私は大嫌いだし、それに慣れたくない。ゴルフなど自己を厳しく律することを問うからこそ面白いプロスポーツも未だあるのが僅かな救いだ。そんな私は甘い人間なのだろうかと時々思う。
小さなことでも良心に目をつぶった思い出はどこか心に古傷として残り何時か痛み出す。それが例えやむを得ぬ貧しさや緊急避難的理由からであってもそうだ。ましてや私欲に従っただけなら痛みは大きい。やましさや後ろめたさと共に生きないで良いのがフェアに生きる最大の功績なのかもしれない。
「堂々とした人生」は金ではない、フェアな生き方のことだと私は思う。

最後に、私が弱い自分に言い聞かせる言葉「正しかれ恐れるな。」
2015年4月

 

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