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Home >> 社長の部屋 >> 社長アーカイブス >> 経営論 >> 2000年 「workerからplayerへ」ー経営編

「workerからplayerへ」

2000/12/29

松本修一

 

 長年、プレシードの社員は一人一人が違った個性、特技を持っていて、組織に対する貢献の仕方は人ぞれぞれであっていいと言ってきた。人との交際がうまく営業が得意な者、逆に人と話すのは苦手でじっくり考えて設計するのが好きな者、体を動かして物を作るのが好きな者、直接の仕事そのものは不得手でも周りを和やかにして職場を明るくして生産性を高める者、整理整頓が得意で環境をきれいに保つのが得意な者等々、色々な貢献があっていいと思ってきた。そして、人それぞれに得意な事で、顧客や仲間や社会に感動を創造する力を養おうと言ってきた。

 

 そういう人を一言で表す言葉と出会った。「player」である。誰もが知っているスポーツ選手や演劇、芸能を行う人によく使う。彼らは仕事をしている事が常に顧客である観客を喜ばせる事に直結している。人を喜ばせる事が出来なくなったとき、マウンドや舞台を降りなくてはならない。そのため日頃より自己鍛錬をして仕事がなくても練習し、食べ物など健康にも細心の注意を払い、一幕の短い晴れ舞台に備える。常に自己管理が出来、自分を自分の手で成長させる事が出来る人が「player」である。

 

 工場で働く人は肉体労働者の意味合いのある[labor]と呼ばれてきた後、「worker」と呼ばれるようになった。過酷な労働を意味するのではなく、単に「働く人」である。「worker」に悲惨な語感はないが楽しい感じもしない。単に決められ指示されたことをこなす労働者という意味だとおもう。そして「worker」達を管理する一部の人が「manager」と呼ばれる。

 

 我々preceedの社員は何であるべきかを一言で伝える言葉は何か。それが「player」だと思う。人から指示されて動く「worker」であってはならないし、指示する「manager」だけでも成り立たない。自分で考え、自分で計画し、目標を立て努力する者たちでありたい。ある時はじっくりと脂汗を流すほど考えを練り、ある時は行動しながら汗を流す。それが「player」という言葉で表せるのではないか。

 

 「player」は結果に責任を持たねばならない。スポーツ選手は負けて相手の選手が強かったのを言い訳にしないし、コンクールで敗れた音楽家は相手がうまいのが悪いという言い訳は分けしない。すべて、自分のせいだとまた鍛錬を始める。3億円プレーヤーであっても、いや、あればこそ日々の鍛錬を必要とする。そして日頃の鍛錬が実って期待以上の成果を出したとき拍手喝采を浴びる。

 

 「worker」には拍手喝采の瞬間はない。もちろん、決められた小さな責任を果たすだけだからである。preceedの社員は、各人が日々刻々と変わる状況の中で自分の仕事を如何に成果あるものにするかを考えながら生きている者たちであるはずだ。毎日単調な労働の繰り返しの中で生きている社員は一人もいない。考えるのを怠り、単調な日々に埋没しようとする者には大きなしっぺ返しがある。シーズンオフに練習せずに過ごした野球選手のように、その期間が長いほどそのしっぺ返しは大きい。

自らに課題を与え目標達成に向かって前進し、目標達成という責任を果たし観客を感動させる「player」というのはプレシードの社員像そのものではないか。

 

 技術の進歩は物の価値を低くし単純生産の価値はほとんど地に落ちた。「worker」の価値が日毎に低下して途上国の「worker」に取って代わられている中で、目まぐるしく変わる状況を的確に捉え問題解決をリードし周りに感動と安らぎを与える者が社会から求められている。顧客や仲間に感動を与える「player」は永遠に社会から存在を求められ続ける。

 

 

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