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参禅記 その18

参禅記18

 2016年6月18日、朝4時に目覚まし起床。4時半前に大慈禅寺に到着。地震で大きく破壊されて、早朝座戦の再開はほぼ諦めていた。地震後一度訪問し、その被害に驚いたがその後何も手伝うことなく我が身の所用にかまけていた。10日ほど前、18日より再開するとの電話を受け、ホッとしたのと何の復興支援もしないで放っておいた後ろめたさを感じながら18日を待った。
 当日は目覚めもよく、少しのお見舞金をもって久しぶりの参禅となった。定番の坐禅堂での45分坐禅後、本堂での読経までは今まで通りできたが、他のお堂は壊れたままの為1時間半弱で終了した。
 久しぶりに坐禅堂で面壁しての坐禅は新鮮だった。季節も変わっていた。「春は花 夏ホトトギス秋は月 冬寒月冴えて雪しんしん」と道元禅師は言った。私も改めて季節が巡るのを味わえる有り難さを感じた。当たり前の季節の移ろいの中に、今からどこまで居続けることが出来るのだろうか…永くても30年はないのだ。いつまでも長生きしたいとは思わないが、一つ一つ移ろいのはかなさと変化に感謝を感じながら生きていきたいものだ。盛者必滅会者常離、永遠なる物など全くないのに、日頃は今の環境が永遠であるかのように何も感じないで生きている。私は流されて生きているような気がする
 今回の熊本地震を体験したほとんどの人が、「有り難い」という言葉、すなわち当たり前に有ることが如何に当たり前ではないことかを感じたはずだ。私も電気が来ている有り難さ、コンビニで食べ物が買える有り難さ、水が来ない辛さ、道路を心配しないで走れる有り難さ…僅か2カ月前には当たり前の事への感謝で一杯だった。
 しかし、たった2カ月でまた忘れ始めている自分を坐禅しながら感じた。いつの日か、坐禅が座れる有り難さを体調崩してから感じるのでは寂しい話だ。
足腰に苦痛も感じながらひたすら壁に向かって座れる今日現在の有り難さに感謝だ。失くして分かる有り難さであってはならない、震災後感じた気持ちを忘れずに生きていければ、熊本地震は私にとって大きな財産となるだろう。何とか財産にしたいものだと思いながら寺を後にした。

 

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