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「この秋は雨か嵐かしらねども、今日のつとめに田草取るなり」

「この秋は雨か嵐かしらねども、今日のつとめに田草取るなり」

 二宮尊徳の歌だと言われている。真偽は知らないが尊徳らしい歌だと思う。二宮尊徳は体が大きく強い強靭な肉体にも恵まれていたらしいが、ひたすら目の前の努力できることを余すことなく遣りつくすというのが真骨頂だとおもう。勿論、一方では綿密な計画があり、その実行の時が上記の詩だろう。がむしゃらに働くだけではゴールに行き着くかさえ分からないが、人為を遣りつくしてその後は只管結果が出るまでは迷わず計画の行動を続けるのみということだろう。私がこの歌との最初の出会いは、サラリーマン生活を終わりにする挨拶の為に訪れた当時勤務していたH社社長室だ。机の横に掛け軸表装で掛けられていた。誰の歌か知らないので覚えこんで帰った。インターネットもない時代にはそれが誰の歌か知るには大変努力が必要だし、そのまま歌を覚えておいただけで時間が過ぎ、二宮尊徳の歌と分かったのは何年も後に偶然本の中で見つけたときだった。さすが二宮尊徳と改めて感じそれ以来私の教訓の一つになっている。

 

 狩猟民族であれば獲物が居そうな所を探して次々に狩場を移る。農耕民族は田畑を移れないから只管生産を上げる努力に汗を注ぎ込む。狩猟民族は獲物の習性を知り予測し準備してそちらへ動きを誘い込む。行動が常に目の前の動きによって変わるからどう動くかを常に緊張して読まねばならない。それはそれですごいストレスの筈だ。獲物が見つからなければ飢え死にか犯罪者になって略奪かの恐怖が常につきまとうから。

 

 典型的農耕民族である日本人は計画をスタートさせたら生産効率アップと無駄の削ぎ落とし只管生産性向上を図る。脇見をしないで唯ひたすらに、正に爪に火を灯すくらいの努力を惜しまない。キツイことだが収穫の方向は疑わないで目の前の行動テーマだけに力を注ぎ込めばいい。まさに二宮尊徳だ。

 

 さて我社プレシードはどちらだろうか。狩猟民族に求められる市場を読んで準備して流れをそちらに向ける努力、時として餓死するのも覚悟せねばならない戦略立案をやっているだろうか。または今日の生産より更に1%の無駄をそぎ、効率を上げる精進を現場で遣っているのだろうか。

 

 獲物が向こうから跳びこんでくるのを待つ都合主義の狩猟民族では一時期に獲物が偶然来なかったら餓死してしまうし、種を巻いたら去年と同じ収穫を当たり前と期待していたら、日照りが、害虫が、作物を襲う。雑草もはびこる。早めに対策をしなければ遅れると大きな痛手を負ってしまう。

 

 チャンスに出来る領域を広げ、偶然だろうが努力であろうが出会いを活かす。技を磨いてチャンスに備えて、出会えば最高の効率を発揮する。というのが日本人の私がかじ取るプレシードの進む道かと思っている。

※2013年11月4日社長トップメッセージより

 

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